(134)顔のない肖像画

顔のない肖像画

顔のない肖像画

『顔のない肖像画』―それを描いたのは、戦後画壇に彗星のごとく現われ、10年間の精力的な活動の後に死した孤高の画家、荻生仙太郎だった。その絵が個展から忽然と消えた後、彼の作品のオークションが開催されるが、競売は奇妙な展開を見せてゆく…。美術品をめぐる人間心理の綾を描く表題作をはじめ、緻密な構成と巧妙な筆致で男女の微妙に揺れ動く感情を綴る短編7編を収録。

連城作品の面白いところはトリックもさることながらそのトリックを生かされる背景作りや人間関係、動機も絶妙であるところだと思う。本作ではそのバランスが丁度良い内容となっていた。まぁ若干今読むと感覚として古い感じを受けるものがあるが。「潰された目」は「百光」のプロトモデルともいえる内容か。個人的には「孤独な関係」の結末が面白かった。なんかアンジャッシュのすれ違いコントに通ずるものがあるような。とはいえ今まで読んだ中では一段落ちる気が。まぁそれは名作が多いだけということで十分レベルの高い作品。

(133)密室殺人ゲーム王手飛車取り

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社ノベルス)

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社ノベルス)

頭狂人”“044APD”“aXe”“ザンギャ君”“伴道全教授”。奇妙なニックネームをもつ5人がインターネット上で殺人推理ゲームの出題をしあっている。密室、アリバイ崩し、ダイイングメッセージ、犯人当てなどなど。ただし、ここで語られる殺人はすべて、現実に発生していた。出題者の手で実行ずみなのである…。茫然自失のラストまでページをめくる手がとまらない、歌野本格の粋。

「殺したい人間がいるから殺したのではなく、使いたいトリックがあるから殺してみた」

上記の本文からの引用文通りの内容。いってみれば殺人を単なる記号、スパイスとして扱う超非倫理的な内容。「バトルロワイアル」に通ずるものがあるのでダメな人はとことん受け付けないものがあるとは思う。そもそもこれはミステリファン向けの内容といえるのでは。特に「生首にきいてみる?」とかは(笑)ある種バカミス。かなり面白かったので次回作も読む予定。ただ歌野作品は設定もトリックも面白いのに一気に読むと少しだれ気味というか頁をめくる手が止まらないという体験が無い気がする。それがいまいち入り込めない原因なのかなとか思ったり。

(132)ふたりの距離の概算

ふたりの距離の概算

ふたりの距離の概算

2年生に進級した奉太郎たちの古典部に、新入生の大日向友子という女子生徒が入部することになった。しかし部員としての正式登録の直前になって、大日向は突然入部の辞退を告げる。入部の締切日に神山高校で開催されるマラソン大会「星ヶ谷杯」に出場する奉太郎は、20キロの長距離を走りながら、彼女の心境の変化を推理し、そこに隠された真意を探っていく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%83%A8%E3%80%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

古典部シリーズ5作目。「遠回りする雛」はとりあえず入手出来なかったので1個飛ばし。本来ならあまり推奨出来ないけどアニメで見ていたから別に大丈夫かと。まぁ安定しての古典部シリーズでした。本作の結末に関しては意外とブラックなところは何か小市民っぽいなと思ったけど。前作までの一番の違いとしては奉太郎が推理するきっかけがえるに促されてのではなくて自発的だったというところだろうか。これが本作だけなのかイレギュラーなものなのか。そういう意味では次回作に期待。あとは「外の世界」というキーワードが出てきた時には「さよなら妖精」を思い出した。そういう人も多いのでは。余談だけど米澤穂信のタイトルのセンスは非常に絶妙だと思う。一見意味不明のタイトルだけど読んでみると違和感を与えない絶妙なタイトルだと思う。

(131)道化師の蝶

道化師の蝶

道化師の蝶

正体不明&行方不明の作家、友幸友幸。
作家を捜す富豪、エイブラムス氏。
氏のエージェントで友幸友幸の翻訳者「わたし」。
小説内をすりぬける架空の蝶、通称「道化師」。
東京−シアトル−モロッコ−サンフランシスコと、 世界各地で繰り広げられる“追いかけっこ”と“物語”はやがて、 “小説と言語”の謎を浮かび上がらせてゆく――。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/doukeshi/

円城塔の作品は初めて読んだのだけどなかなか面白かった。個人的には関連して語られる事の多いように思う伊藤計画より好きかもしれない。冒頭のやりとりから惹きつけられた。とはいえこの手の小説を読む技術が無いせいか完全に理解は出来なかったように思う。数回読み返せば理解が深まるのかもしれない。他の作品を読んでみようと思う。

(130)球体の蛇

球体の蛇

球体の蛇

1992年秋。17歳だった私・友彦は両親の離婚により、隣の橋塚家に居候していた。主の乙太郎さんと娘のナオ。奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。どこか冷たくて強いサヨに私は小さい頃から憧れていた。そして、彼女が死んだ本当の理由も、誰にも言えずに胸に仕舞い込んだままでいる。
乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会う。彼女に激しく惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる。しかしある晩、思わぬ事態が私を待ち受けていた……。
狡い嘘、幼い偽善、決して取り返すことの出来ないあやまち。矛盾と葛藤を抱えながら成長する少年を描き、青春のきらめきと痛み、そして人生の光と陰をも浮き彫りにした、極上の物語。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200911-02/

終盤までが米澤穂信の「ボトルネック」で結末が東野圭吾の「秘密」みたいな。そこそこ面白かったけど少し中途半端な印象。なにより道尾作品ならでは超絶どんでん返しがなかったのは残念。でもある種救いがあるというのはそれだけでよいのかもしれない。前述した2作品が物語の結末としてかなり特殊なんだよな(笑)

(129)クドリャフカの順番

クドリャフカの順番 (角川文庫)

クドリャフカの順番 (角川文庫)

シリーズ第3弾。単行本の副題は『「十文字」事件』。これまで物語は主人公である奉太郎の一人称で語られていたが、今作では場面ごとに奉太郎を含む古典部部員4人の視点が入れ替わり、ひとつの物語が複数の主観の語り部で進行する。
神山高校の年間最大イベントである文化祭が始まった。しかし古典部は、出品する文集「氷菓」を手違いで大量に作りすぎてしまった。文集を売るため方々に向けて奔走するえる、文化祭を思う存分楽しみながら文集を宣伝する里志、大量発注に責任を感じながらも漫画研究会のギスギスした雰囲気に苛まれる摩耶花、静かに店番をする奉太郎。古典部員は大量の在庫に頭を抱えつつも、文化祭は進んでいく。
そんな中、校内では「十文字」と称する何者か犯行声明を残して各部活から物品を盗んでいく、奇妙な連続盗難事件が起きていた。古典部は、知名度を上げて文集を完売させることを目指し、「十文字事件」解決に取り組む。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%83%A8%E3%80%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

青春ミステリの傑作。といって過言ではない作品ではないでしょうか。内容的にもボリューム的にも大満足。これはアニメを見る前に読みたかったとすら思ったりした。まぁアニメを見たからの面白さもあるのかもしれないが。今回では奉太郎視点だけでなく多視点での語りで進行されていたがこれは米澤作品では珍しいような。少なくてもヒロイン視点での語り、ヒロインの内面描写は殆ど無い気が。個人的にはこれに関しては作者の普段の文体との違和感があってそれほど成功しているようには思えなかった(特にえると里志)とはいえ本筋の構成としては問題は無いのだけど。ワイルドファイアの下りはアニメでも笑ったけど原作の言い回しも笑えた。ノリノリで書いとる。何気に「愚者の〜」では行けなかった打ち上げでは本作でしっかり行けているのが良かった。ただ完全無欠な大団円でないところも相変わらず(笑)既刊の2作も早く読まねば。

(128)愚者のエンドロール

愚者のエンドロール (角川文庫)

愚者のエンドロール (角川文庫)

シリーズ第2弾。アントニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』へのオマージュ作品。
高校1年目の夏休みの終盤、古典部の面々は、2年F組の生徒が文化祭の出展に向けて自主制作したというミステリー映画の試写会へと招かれる。しかしその映画は、脚本家の体調不良で話が進まなくなってしまったことで、結末が描かれないまま尻切れトンボで終わる未完のものだった。
古典部は2年F組の入須冬実から、映画の犯人役を探し当てる「探偵役」を依頼される。映画の結末が気になるえるの一言で、古典部はオブザーバーとして、2年F組から志願した3人の「探偵役」の推理を検証していくことになる。最初は乗り気では無かった奉太郎だが、入須に自身の資質を認められ本格的に推理に乗り出していく。しかし推理の末に奉太郎は、映画の犯人探しに隠された本当の狙いに気付いていく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%83%A8%E3%80%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

引き続き古典部シリーズ。アニメも見終わったしトリックなどは全て分かるので自然にアニメとの比較になってしまう。相変わらず面白かったけどこれはアニメのほうが軍配があがるかな。まぁ、どちらが上というのも変な話だろうけど。流石に映像の説明は映像のほうが分かりやすいのはしょうがない。あとは奉太郎の結末に関してはアニメだと「怒りと屈辱」だったけど小説を読む限りだと「諦観」というのが個人的なイメージ。アニメの場合はそのあとの「クドリャフカの順番」へのシークエンスとしてそうしたのかなと思ったが、自分としては小説のほうが実に米澤穂信作品の登場人物の反応らしいなと思った。そして「中村青...」には笑。こういうのは嬉しい。余談だけど密室物で見取り図を載せない作家は結構いるけどあれは小説家として全てを文章で説明したいという拘りなんだろうか。正直不要な拘りだと思う。